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病   

タラン(先日同居人になったクモ。)が元気ない。

毎日、朝夕に話しかけているのだが、一向に反応を示してくれない。天井にばかりいるから、飢えているのかもしれない。うむ。

久しぶりの拠点に行ったら、同期が長期休暇をとっていた。彼からは先週、会社を辞めようか悩んでいると相談を受けていた。早くから重くて忙しい案件を任されていて、私がぼげらーとしている間にどんどん先に進んでいった彼だったが、頑張りすぎて、心も体もプチンときてしまったみたいだ。誰かが助けられればいいのだけれど、みんなそれぞれ自分の案件で忙しいのと、業界業種の特殊さなのか、共有できる仕事内容も少ないため、結局、限界になるまで個人でどうにかしなければいけなくなる。ポツポツと戦線離脱者が見受けられる。この会社、こんなんでいいのだろうか。彼がいなくなると少し寂しいので、ゆっくり休んで戻ってきてくれたらうれしい。

そんな重い思いを噛み締めたり、寒い屋外で待たされたりしてたら、凍えて死にそうになったので、帰りはスープを飲んできた。隣の席のヒトが宗教がかった思想家で、押し付けがましい思想嫌いの私は困った。「愛の光の弾丸を進めようと思うの」、「分かるヒトには分かるはずよ」、「宇宙が地球に罰を与えるわ。環境に悪いことは宇宙人が一番嫌うはずだもの」等々、聞いていてじんましんがでそうな言葉をずらずらと並べていた。こういうことを言うヒトの何が嫌いだって、自分が主張するばかりで、周囲や他人を観察するというスタンスが抜けているからだ。周囲や他人を観察して、受け入れていたら、まぁこういうヒトにはならないのだろうけれど。そんなヒトが主張する愛では、他人を本当の意味での幸せにはできないと思う。

一方で、こういうヒトが点々と存在し、求心力を増している最近の世の中は、やっぱり病んでいるのだろうとも感じた。強く断言し、酔わせてくれるヒトに惹かれるのは、生きるのが心許ないからなのだろう。嘘でも、救われたいのだ。

心許なさは分かるけれどね。でもノアの箱船の乗船券や免罪符を持ったつもりの人には別になりたくないや。根拠のない優越感を持って世界を眺めるのはご免だ。思想や他人に救いを求めるのは、お門違いだと思うんだ。自分を救えるのは最後は自分しかいない思うから。そして、自分の思想で他人を救おうとするのは思い上がりだと思う。他人もまた、他人自身で救われるべきだから。自分の主張を押し付けるうちは愛じゃないし。

ここまで頑に批判できる私もある意味めんどくさい思想を持っているのかもしれないのは分かっている。気をつけよう。あるがままを受け入れたいと思うのだけれど、気味の悪い色のついたあるがままに対しては、拒絶してしまう。うーむ。

by haruyasai | 2008-02-29 00:44 | 日常

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