生き方
2007年 09月 08日
先日、昔の友人と話しをしていて、もう若くないのだと思い知らされた。
そんなときに、同期の結婚ラッシュもやってきた。彼等の状況を見ていると、どうやら私は結婚もできなさそうだと実感してしまった。
なにがどうなって結婚に到ることができるのかわからないし、今の彼氏のことは大好きで、彼と一緒にいられたらとは思うけれど、私自身が彼の「妻」やヒトの「母」に値する人間ではないと思い知った。「お嫁さんになる」という夢が音さえ立てずに崩れていった。なにものにもなれない私は、生きる意味を家庭を持つことで見出そうとしていた。が、どうやら結婚は愛とカネだけではできないらしい。同棲と結婚は違う。この実感はなかなかショックだった。
また、仮にその夢を継続するとして、実際いつできるか分からない結婚に到るまでの長い時間を考えると、夢のお嫁さんになる前に自分が腐ってしまう焦燥感にかられてきた。家庭を目標とすると、全ては彼との結婚のため、という考え方になってしまう。それは、相手がいて、できることである。20代後半の女性はこんな気持ちなのだろうか。女性の素晴らしいところは愛で生きるところだと思うが、愛を発揮できない状況では、愛も邪魔だし狂気でしかない。愛や情熱の注ぎ場が必要なのです。それは、彼氏でも、子どもでも、趣味でも、仕事でもいい。
けれど、私には人生を捧げられるだけのものはなにもない。
なにもない。
これからどう生きればいいのだろう。
私はいつも人生の決断を環境に預けていた。流れに身を任せ、長いものに巻かれ、ぼけぼけと過ごしてきた。それが幸せに生きられるコツだと思っていた。
だが、それでは幸せになれないと気付いてしまった。楽しいことと、幸せにいきることは必ずしもイコールではない。現に今の私は惰性で歳月をやり過ごしているだけだ。
会社を見ても、学ぶ面はあっても尊敬できるオトナはいない。そんな中で淡々と働いてはいるけれど、彼等の様に私はなれないし、なりたくない。
ガマンして働きつづけたら、30くらいに後悔する気がする。後悔はしたくないから、自分が何をしたいのか、どう生きていきたいかをじっくり考えようと思う。
何かに情熱をもって取り組みたいし、もっと苦労もしたい。自分を捧げられることを探そうと思う。見つからないとしても、ないとしても、今、探さなくてはいけない。
こんな感じでいつまでたってもお子様です。生きるために必死なのです。
そんなときに、同期の結婚ラッシュもやってきた。彼等の状況を見ていると、どうやら私は結婚もできなさそうだと実感してしまった。
なにがどうなって結婚に到ることができるのかわからないし、今の彼氏のことは大好きで、彼と一緒にいられたらとは思うけれど、私自身が彼の「妻」やヒトの「母」に値する人間ではないと思い知った。「お嫁さんになる」という夢が音さえ立てずに崩れていった。なにものにもなれない私は、生きる意味を家庭を持つことで見出そうとしていた。が、どうやら結婚は愛とカネだけではできないらしい。同棲と結婚は違う。この実感はなかなかショックだった。
また、仮にその夢を継続するとして、実際いつできるか分からない結婚に到るまでの長い時間を考えると、夢のお嫁さんになる前に自分が腐ってしまう焦燥感にかられてきた。家庭を目標とすると、全ては彼との結婚のため、という考え方になってしまう。それは、相手がいて、できることである。20代後半の女性はこんな気持ちなのだろうか。女性の素晴らしいところは愛で生きるところだと思うが、愛を発揮できない状況では、愛も邪魔だし狂気でしかない。愛や情熱の注ぎ場が必要なのです。それは、彼氏でも、子どもでも、趣味でも、仕事でもいい。
けれど、私には人生を捧げられるだけのものはなにもない。
なにもない。
これからどう生きればいいのだろう。
私はいつも人生の決断を環境に預けていた。流れに身を任せ、長いものに巻かれ、ぼけぼけと過ごしてきた。それが幸せに生きられるコツだと思っていた。
だが、それでは幸せになれないと気付いてしまった。楽しいことと、幸せにいきることは必ずしもイコールではない。現に今の私は惰性で歳月をやり過ごしているだけだ。
会社を見ても、学ぶ面はあっても尊敬できるオトナはいない。そんな中で淡々と働いてはいるけれど、彼等の様に私はなれないし、なりたくない。
ガマンして働きつづけたら、30くらいに後悔する気がする。後悔はしたくないから、自分が何をしたいのか、どう生きていきたいかをじっくり考えようと思う。
何かに情熱をもって取り組みたいし、もっと苦労もしたい。自分を捧げられることを探そうと思う。見つからないとしても、ないとしても、今、探さなくてはいけない。
こんな感じでいつまでたってもお子様です。生きるために必死なのです。
by haruyasai | 2007-09-08 02:34 | 日常